宝 篋 印 塔

 宝篋印塔という名前は鎌倉時代から使われており、塔の中に宝篋印陀羅尼経を納めることか
ら出たといわれています、必ずこの経だけでなく、法華経や舎利を納めたというのもあります。
 もともとは、インドのアショカ王の建てた八万四千の塔(銅・銀・鉄製の方形の小塔)の故事に
ならって、中国の呉越王銭弘俶が作った金銅製の塔で、内部には、宝篋印陀羅尼と言う息災
安穏長寿のため呪文を納めて、諸国に配ったのが始まりといわれています、わが国には中国
より帰国した僧によって伝えられています。
 
   宝篋印塔は、基部・塔身・笠・相輪からなり、笠
の四隅に角状の突起(隅飾)が有るのが特色で、
隅飾突起は特有の曲線でつくられ、内側に円を
二つつないだ形をしています。
 図の右は関東型(鎌倉様式)と言われて、基
檀格狭間(こうざま)・返花座(付いていないのも
有ります)が付く、全体に細身で基礎・塔身に框
形(かまちがた)が付く。
 また隅飾・格狭間(こうざま)は鎌倉・室町・江戸
時代その時代により少し形が違います。
 
宝篋印塔の各部名称
 
関東型(鎌倉様式)
下の写真は重要文化財に指定されている宝篋印塔です。 
 
大分県臼杵市深田
鎌倉時代
神奈川県鎌倉市大町
安養院
 徳治3年(西暦1308年)
埼玉県松山市
光福寺
元享3年(西暦1320年)
神奈川県足柄下郡
箱根町元箱根
永仁4年(西暦1296年)
滋賀県蒲生郡竜王町鏡
鏡神社
鎌倉時代
滋賀県蒲生郡十禅師
比都佐神社
嘉元2年(1304)
滋賀県
鎌倉時代
奈良県吉野郡吉野町山口
薬師寺
建治4年
京都府左京区
京都大原勝林院
正和5年
和歌山県東牟婁郡
那智勝浦町那智山8
元享2年(1322)
 
層塔    石燈篭    宝塔・多宝塔    五輪塔    無縫塔・板碑・笠塔婆・石幢

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